アタマの中に花咲かせよう!

ハッピーになる考え方について書きます

義理と好きは真逆。テクニックはいらない。

義理で人と付き合うのと好きな人と付き合うのは、真逆である。
好きな人には共感できるが、義理では好きとはいえない。
真逆だ。
好きで共感できれば、その人のSNSなどにイイねするが、好きでもない義理の人には、イイねはできない。しようと思わない。
義理で付き合うこともできるが、無理があり、ストレスでしかない。
逆に好きな人とは、付き合うことは楽しい。
ストレスがない。
では、好きな人とはどんな人かというと、多分、誰でも好きなのは、楽しく生きている人だろう。
何やってても別に構わないのだろうが、楽しく生きている人。楽しい人とは、その人といると楽しい人。話すと楽しい人。義理じゃなく、いいなって思える毎日、仕事を明るく楽しくしている人。そこに人は惹かれる。
義理で好きとは、人というものは人に言えないのだ。だからって好きと言ってもらえそうなことを無理をしてやろうとしても、ダメだろう。
人は人のことを分かるものなのだ。
ごまかしようはない。
逆に、好きなことに忠実なら、自分が楽しくいられるし、楽しく生きていることが、人もすぐ分かるだろう。
だから、自分が好きなことをやればいい。
ただ、それが、人との間のなかで、交流とか楽しいやりとりを生むもの、楽しそうな雰囲気のもの。そういうものに惹かれる。ただただ単純。
それを、無理して頑張るとか、義理でやるとか、そういうのは、人は引く、近寄らない。
人間は感情の生き物だ。
感情をそのまま出さなかったら、いつ、どこで感情を出すのか。
自分が思ったこと、感じたことを表さなくて、誰が代わりに表してくれるのか。
カッコつけるのが、目的ではない。
演じることが、人生になってしまっては、自分の本心の人生ではない。
何を考えても、無理して人に合わせてたりしてるうちは、結局、人に合わせてるだけで、それで悩んでるだけでしかない。
演技したり、思わせぶりだったりは、他人の反応に依存してるだけでしかない。本心ではない。
本心で生きていられたら、それが本心の生き方。
金、経済的充実が目的ですらない。
本心で毎日を過ごして、本心で人と関わって、本心で付き合えれば、人と関係が築けると思う。
関係が築けるとは、友達になるということだ。
友達とは、親や学校がいう友達ではない。
それもそうかもしれないが、本心を出し合える間柄ということだ。
演技をして何になるのか?
友達になれば、自分の店なり、ビジネスなりを助けてくれる。
人のつながりができる。
それは、結局は経済的充実にもつながるかもしれない。その楽しい在り方での経済的充実こそ、ずっと続けられるものではないか。
見栄も張らなくていいし、演技もしなくていいし、人に合わせなくてもいいし、自分を犠牲にしなくてもいい。
自分こそが自分の好きなことを自分にさせてあげなければ、誰が自分の好きなことをさせてくれるのか?
好きなことをしている人のことは、みんなすぐ分かるものだ。楽しくやってるんだな、と。