学校はいい「奴隷」を作るところ
学校は、従順で使える奴隷を作る学校といえばいいずぎだろうか。
したくもない受験勉強をして進学するなら、それは、やりたくないことを我慢してやる「いい奴隷」を養成するもの以外の何物でもない。
マゾの境地だ。
なぜ嬉々として、したくもない勉強をするのか。勉強をしに行くのか。
奴隷になる道のり以外の何物でもないことに気づいていないのだろう。
あるいは、うすうす気づいていても、そこからはみ出ることのメリットは感じられないのだろう。
しかし、奴隷になる努力をしているということが、勉強の努力だと気づいてももういいだろう。