アタマの中に花咲かせよう!

ハッピーになる考え方について書きます

素直に期待しよう 勝手に能天気に!

誰でも楽しく生きたい!
それは当然である。
でも、大人になるにつれてか分からないが、こうすべき、あるべきという考えに縛られてか、我慢することがいいこととか、相手とか周りのためとか、って思って、遠慮したりすることや、大人しくすることや神妙にすることが、「正しい」と思うようになったりする。
でも、それは、本心だろうか?
誰でも楽しくいたいはずである。
でも、楽しいを優先しないで、強情に我慢とかを優先するのは、そうやって神妙にしてれば、認めてくれたり、いい子だと思われたりすると思っているからではないか?
また、その実、我慢は大変だということのアピールも含まれている。そして中には、そうしてれば、報われるとか、関心を持って貰えるとかの希望的観測があるのかもしれない。
そりゃ誰でも見ている。こちらも含めた周りの人をいいか、どうかを期待して見るかもしれない。そこで、つい、神妙なふりや、ちょっと頑張ってるふりを見せようとしてしまうかもしれない。そういうことが、常識や求められていることかと思ってしまうかもしれない。無意識に、そういう素振りをしてしまうのかもしれない。でも、もし、人が見てくれることが分かっていて、こちらをどういう気持ちかなどを見ようとしてくれるのを知っているのなら、だったら、明るい期待をすればいいのではないか?
人は案外許してくれるということを、楽観的に信じてもいいのではないだろうか?
まあ、人は、みんな、軽くでもいいから、認識してほしいものだ。僕もそうだ。その気持ちを認めてもいい。
なかなか、素直になれないけどね。
まあ、日本人は、みな、シャイで遠慮がちなのは知ってるけどね。
ま、僕から、求めちゃおーうっと!
期待してるほうが、楽しいから。
期待してること自体が、頭がハッピー!
それでいいじゃん!
遊んでたり、気楽だと、そのうち、何か失敗するかもって?
そんなこと起きませーん!
てか、心配してること自体が、その瞬間で心配事がもう起きてまーす!
先のことは、まだ起きてないし、楽観するのは、自分で、それが、明るい未来を作りまーす!
と、思う!

期待して人の優しさを信じている人と、期待に応えようと合わせてくれたりする人が世の中にはいるかもしれないが、だったら、期待を一方的にしている能天気な人で僕はありたい。