アタマの中に花咲かせよう!

ハッピーになる考え方について書きます

文化で世代ギャップは埋められるかな?

ウチの地元には、神楽とか囃子がある。
これは、貴重な文化である。

江戸時代頃から盛んに行われていたと考えられる。
今でも、継承されている。
自分も神楽も囃子も関わっている。
演者やったり、演奏したりしてきた。

その時代、時代の人々が、継承してきたのだろう。
江戸時代は、ほとんどが、農家の人が継承してきてだろう。
明治も、ほぼ農家だろう。青年層の関わりも奨励したようだ。
大正から昭和も、ほぼ農家中心。
昭和も30年代位からかな、だんだんこの地域にもサラリーマンが増えてきて、その人達も行うようになった。自営業者もいる。

文化は文化でほとんど昔ながらが残り、継がれてきたけど、生計を立てる手段が世間との関わりの中で、次第に変わってきた。

変わらない文化を通して、変わっていく生計手段による別々の職業の人が、その文化を受け継ぐようになっている。

当然、考え方も合わなかったりする。
田舎の文化だから、田舎の考え方がもともとあって、新しい世代には、全く考え方の意味が分からなかったりする。
でも、価値ある同じ文化をやってるから、お互いに分かろうと歩み寄りがあるから、お互い新しい発見があったりもする。

ま、元気でやってけばいいんじゃないの?
元気なら、また会えるし。
仕事が第一だし。

神楽は源流は、古代とかに遡るかもしれない。そしたら、神楽を担ってた人達は、古代人で、古代人は、食糧を得るのは今より大変だったかもしれないけど、今みたいに、世知辛い世の中だったとは限らない。
江戸時代の人達だって、今みたいにスーパーはなかったけど、農業も大変だったと思うけど、今ほど時間に追われていたとは限らない。
だから、神楽や囃子の考え方が、『努力!』っていうものに必ずしもこだわる必要はないかもしれない。努力はまあ良いけど。
努力って考え方は、ごく最近の考え方じゃないかな?
慣れないことを、同じようにみんなで同一にやることを強いることを努力というなら、結構無理がでてきている。
努力ができない人を非難するというのも、怒るというのも、そんな昔からそうだったのかなぁって少し疑問に思う。
もっと、日本の文化だったら、『おおらか』にやればいいと思うけど。
今の多くの日本人が、大変なのは、慣れないことを慣れない考え方で無理してやってるからじゃないかな。
そんな無理なら、投げだしちゃえばいいのに。
近現代の学校が、『努力をしなきゃいけません!』ってあんまり言うから、みんな『努力』してきたけど、努力よりも、自分達の心と体の方が、絶対大事だと思うけど。

もういいでしょー、せんせー!