アタマの中に花咲かせよう!

ハッピーになる考え方について書きます

子ども心の将来のやりたいこと

幼少の時、路線バスに乗っていた時のこと。運転席が、バーで囲まれていて、機械が沢山あること、そしてバス停に近づくとアナウンスする様子を「カッコいい」と思って見ていた。ある時、母親が、将来何になりたい?」と訊いた。自分は「バスの運転手」と答えた。すると母親は、「もっといい仕事にしなさい」と言った。

子どもの頃、ファーブル昆虫記を読んだ。虫の観察も好きだったのもあるが、家にあったからだ。
その頃にも、母親に「将来、なりたい仕事はなに?」と訊かれた。子ども心に「ファーブルみたいな人」と答えた。すると、母親は、「もっと、いい仕事にしなさい」と言った。

「いい仕事」?自分は、ハテナマークが頭に出ていた。訊いたのは、母親のほうじゃないか。自分がなりたい仕事と訊いたから、そう答えたのだ。それだけなのだが。

このように、今までの親は、子どもに職業を誘導するようにしてきたところがある。
自分は、まんまと、今お堅い種類のサラリーマンだが、ある意味、多少誘導されていた節もあると思ってきた。自分は、それに気付いたからいいが、また、ついさっき、「ファーブル事件」を思いだしたから、この記事を書いているから、記憶が蘇ってよかったが、世の中には、自分で選びたいように選んだつもりで、親や、教師にそう勧められて、進路を選んだ人が多数いることと思う。しかし、もし、それで、何か違和感のようなものを持っているとしたら、それは、もう無理しないでいいという合図ではないか。自分のやりたいことは、自分の心から発するものである。それを第一にすることを自分に許すことが、必要である。子ども心を自分が、認めてあげることが、必要である。本当は親が、あるがままの子どもの気持ちを認めてあげることが、必要だったのだが。

もう、我々は、好きなこと、やりたいことに素直になっていいのではないだろうか。