アタマの中に花咲かせよう!

ハッピーになる考え方について書きます

第三の道

サラリーマンはビジネスオーナーを儲けさせるために、会社に通い、時に娯楽、楽しみで気を紛らわせ、食事もオーナーを儲けさせるためにしているようなものだ。
ラットレースである。
ならば、ビジネスオーナーになったほうが得だともいえるが、今の時代は個人基本でビジネスを行い、自分に足りない分は、クラウドワークなどで仲間を募集したり、チームを組んだりして機敏に軽い気持ちで、物事を行うことができる。そうすることで、サラリーマンでもない、ビジネスオーナーでもない、ラットレースの関与者ではない活動の仕方が実現できる。
柔軟にやっていこう。
疲労困憊の連鎖から抜け出そう。
全く関係ないところで、好きに生きていこう。

引き寄せの法則?

引き寄せの法則というものがある。
考えていることが現実になり、自分に似た人が引き寄せられてくるというものらしい。
しかし、現実的に考えて人が磁石みたいに引き寄せられてくるわけがない。
しかし、似たものが集まるという観は確かにある。
その秘密は、ただ単に、集まった人の中で、相手の考えや傾向を理解して真似するようになって、似たもの同士になっていくというだけのことだ。
そうそう意味では、引き寄せの法則はあるものといえるし、引き寄せられてるわけではないともいえる。

統合失調症でも仕事は楽しくできる

私は27歳で正式に就職し、26歳の時からバイトで仕事をしていました。その前の学生時代もバイトはしていました。

それから41歳の現在まで、特に休職とかもせず、仕事をできています。それは医者にかかったことと、自分なりに前向きに考えてきた結果だと思います。もちろん落ち込むこともたくさんありました。でも、楽しく毎日を過ごしてきたし、仕事にも意欲的に取り組んでも来ました。

大きな成果すらあげたこともありました。

今では職場で信頼されていると思っています。

統合失調症はもう現代では、珍しい病気ではなくなっています。

それに医学が進歩すれば、治らないわけではないと思います。それまで、日々進歩し続ける医学を信じて、うまく統合失調症と付き合っていけばいいのだと思います。

統合失調症とのつき合い方

私は、20代前半の頃、統合失調症と診断されました。

頭が痛く、声が直接頭に聞こえてくる感覚があったのです。

「それは統合失調症の症状です」

そういう趣旨のことを駆けこんだ医者は言いました。

そして統合失調症との付き合いが始まったわけですが、最小は薬も多かったところ、現在は必要最小限であり、且つ「予防のため」

という意味で医者から処方される形になるまで改善しています。

あまり考えすぎず、まずは薬で落ち着かせて、体が馴染んできたら、色々と生活の面で楽しいことに挑戦していけばいいのです。そうすることで、やれるという自信が生まれ、毎日が充実していきます。

あなたももし、心に負担があるなら、そのように考えてみればいかがでしょうか。

その際、やはり自分の話を聞いてくれる、傾聴してくれる医師の存在は大きいです。家族にはその知識はなく、対応に困るものですから。でも家族も医師にかかっていれば、安心してくれますし、家族も傾聴してくれるようになっていくものです。

親に自分のやりたいことを伝える方法

親が自分の夢や目標に理解を示してくれないとき、どうすればいいでしょうか。
親も人の子で、未熟です。子育てに奮闘してるのです。責めないことです。傾聴してくれたらどんなにいいかと思うでしょう。でも、未熟だからできないのです。傾聴すべきというのもこちらからの押しつけではないでしょうか。それでは親と同じです。相手は鏡というのはこのことです。
落ち着いて、怒らず、理解を求めましょう。
いくら大人だから親の許可は不要だと言っても、理解を求める姿勢は大事です。

父親の真似

子どもの時に、父親に厳しく叱られたことが多かった。
だから、父親みたいなサラリーマンになれば、この空虚な気持ちを埋められると思った。
だから、苦手だけど、サラリーマンで事務職になったのだと思う。
でも、本当は音楽とか絵とかが好き。
芸術好き。

41にして気付いた。

これからは好きな音楽、イラスト(CG)やるぞ!

母性

好きなスナック嬢が、俺に話しかけた。
「⭕⭕ちゃん、カラオケは盛り上がった?」
スナックは三次会で、カラオケは二次会だった。
聴き方が、どうだった?っ感じだったから、「ま、まあまあ」ってつい応えた。
その後、おれの反応が良くなかったと思ったのか、隣の仲間の方を向いてしまった。その後はほとんどその仲間と楽しそうに話し込んでいた。嫉妬させようとしているのではないかと感じてしまう俺がいた。きちんと俺に話振ってくれたし、聴いてくれた。帰りも笑顔くれた。
だけど、女とは本質で母性があるのではないかと思う。
ある本で、自分の周りの世界は母がどう自分に接してきてくれたかをそのまま表しているものということが心理学的に書いてあった。
それは男女問わず。
としたら、スナック嬢も、母性を演じてくれたわけで、俺に話を聴いてくれるという愛情を示してくれたのだ。しかし、俺がまあまあって反応で、多少照れもあったから、セーブしてたので、「私じゃダメなのかな」って思わせてしまったのだと思う。
スナック嬢から見て俺は、女性や周囲に母性を求めている男性であり、スナック嬢自身も、母性を演じる女性である。
そういうことなのかなあと思った。
だから最後に帰り際笑顔くれたし、俺にもっと「盛り上がって楽しかった」とか、そうではくても、実際の、様子とかを、語ってもらえたらいいのにと思ってくれたのではないか。
そういう優しい娘だ。
そう思うと、仲間と話し込んだことも嫉妬してしまったが、許せるし、そもそも、嫉妬すること自体が、母の愛情を欲しいという母性を求める気持ちだし、嫉妬するのを分かってて仲間と話し込んだのなら、こっちと話しちゃうよーってことなら、俺の話を聴いてくれるつもりだったということだし、母性を出してくれるつもりだったということだ。始めに母性を出してくれたのだ。