アタマの中に花咲かせよう!

ハッピーになる考え方について書きます

人と心を共有しよう

人は、自分ではない。
だが、心は自分と同じと考えても良い。
自分は、他人では絶対にあり得ないし、代わりはできないし、他人のやることを代わりにはできない。
そういう意味で、他人の行動には責任を持てないし、代わりに請け負うことはできない。
しかし、他人の気持ちは自分の心の鏡と良くいう。
こと、感情という点に関しては、他人と近くにいる時は、感情は共有している、できる、と考えて良いと思う。
なぜなら、外国人はどうか分からないが、(多分同じだと思うが)日本人は特に、その場の空気とか雰囲気とかを重視し、共有するからだ。
だから、完全とは言わないまでも、その場の空気とか感情は共有するものと、考えて良い。
日本人は、気を遣うというのは、そういうことだろうと思う。
他人の気持ちは分からない。他人の感情は責任は持てない。しかし、その場にいる以上、感情は共有するところがあるのだから、だったら、いい感情を共有したいものです。
明るい気持ち、気楽な気持ち。共有したら、お互い確認でき、楽しく、更には、増幅できるところもあると思う。
日本人は奥ゆかしく、遠慮がちである。しかし、それは、ある意味で警戒心の強いことの表れであり、裏を返せば、実は話したいし、興味を持ってもらって悪い気はしないはずだし、笑顔をもらって嬉しくないはずがない。
気を遣っている形をとっているが、実は、それを、関心を持ってもらうことを待っているだけなのだ。
親に監視といっては語弊があるが、見られて育ってきたことが、親に気を遣うこととイコールとなっているのだ。いわば取り引きではないが、気を遣う代わりに、見てもらうということになっている節がある。だから、本音は、奥ゆかしい人も、どんな人とも同様、ただ愛されたいと思っているということに気付いたほうがいいのではないか。
ただ、自分のできることは、相手に関心を持ってあげればいいのだ。
さらにお互いの様子で、話が深まるかもしれない。それは楽しみにすればいい。

共有するものを、「生真面目さ」から、「笑顔」へ。
「内向き」から「相手」へ

これが、私のこれからのテーマです!